カテゴリー: 経営環境

菅新内閣の予算編成について考える

新型コロナウイルスの影響で日本経済はかつていない脆弱さを露呈しました。その要因となったのが新自由主義的思考です。新自由主義的思考とは、政府などによる規制の最小化と自由競争を重んじる考え方で大企業と富裕層の利潤を最大化し、社会保障など公的サービスを切り捨て、自己責任を押しつけるものです。

この考え方の弊害の具体例がコロナ禍で必要とされた保健所の数です。1990年には850ヶ所だったものが、2020年までの30年間で469ヶ所と約半数近くに激減しました。この減少が、PCR検査が十分に行われなかった要因のひとつです。

この思考は中曽根元首相から始まり、歴代1位の在位を成し遂げた安倍前首相に脈々と受け継がれ、菅新首相もその後継者として「自助・共助・公助」を掲げ、露骨に新自由主義剥き出しの路線を継承しています。

そんな菅内閣が発足して初めての予算編成です。その内容と特徴は菅政権の今後を占うような内容になっています。

各省庁が提出した21年度の概算要求・要望の合計額は約105.4兆円で、100兆円を超えるのは7年連続です。新型コロナウイルスへの政府対応が優先され、提出締め切りは例年より1ヶ月遅い9月末となりました。

要求額を算出する基準も簡単にして、前年度の当初予算がベースになっています。コロナ対応など「緊急な経費」は別枠で、上限なく要望が出せます。その結果、コロナ対策費は、現時点で金額を示さない「事項要求」が多いことが特徴です。

事項要求とは、各省庁が概算要求を行う際に個別政策の予算要求額を明示せず、項目だけ記載することを言い、政策が細部まで決定されておらず予算額が不明な場合などに用いられます。その結果、年末に閣議決定される予算案は歳出総額が過去最大を更新する見通しです。

内容をみると無駄な公共投資は相変わらず続いており、人口減少と都市と地方の格差はますます開き、大手ゼネコンばかりが超え太るような内容になっています。

国民に対する監視の強化や個人情報の漏洩が危惧されているマイナンバーカードの普及促進のために1,451億円を要求しています。それにより、健康保険証、運転免許証、国税、年金などの情報を無理やり紐付けしようと画策しています。

コロナ対策では、行政検査としておこなうPCR検査の半額を自治体が負担していることへの解決策を提示していません。

中小企業対策費は、事業者の経営の下支えや支援ではなく、事業承継等の新陳代謝に力点が置かれています。日本の企業の99.7%、雇用の7割を占める中小企業が光となるような予算規模になっていません。逆に中小企業の生産性を高めるためにその再編を積極的に打ち出している菅政権の姿を投影した予算です。

防衛費は総額5兆4,898億円で前年度予算の3.3%増です。辺野古新基地建設経費やイージス・アショアの代替経費は事項要求になり、具体的な予算を計上しないでも9年連続で前年を上回り7年連続で過去最大を更新しています。新たにステルス機F35を6機購入し666億円を計上しています。これにより、後年度負担額は5兆4,585億円にものぼり予算が固定化しています。

無駄遣い?新センチュリーが議長車に!

山口県が今年4月に貴賓車として2,090万円で購入した最高級車「センチュリー」をめぐって、県民から多くの批判を呼んでいます。また新聞報道もされ、TVのワイドショーにもとり挙げられ、村岡嗣政知事も対応に苦慮しています。新聞報道からこの購入の経緯などをまとめました。

この黒塗りのセンチュリーは5リットルエンジンに車内にはスピーカー20個、後部座席にはもみほぐしのマッサージ機能や11.6インチのモニターを備えています。

昨年度までに県が所有していたセンチュリーは3台、2002年に貴賓車として1,061万円で、07年に議長車と1,061万円、13年に副知事車として1,260万円でそれぞれ購入されています。

県は今年度からこの3台を一括して「皇室対応用車両」に見直して、一体的に管理する体制に変更するとしていますが、旧貴賓車は運転日誌が残る直近3年間で走ったのは13日間だけです。うち皇族の利用は18年10月に山口市で開催された全国都市緑化祭で秋篠宮ご夫妻を運んだのが最後となっています。

また、現時点で皇室からの来県予定はなく、「皇室から貴賓車の所有を求められたことはない」ということです。現在、県が所有する2台のセンチュリーは、議長と副議長の送迎等のために使われ続けています。

一方、知事の公用車は防府市に工場を構えるマツダ大型CSV(スポーツ用多目的車)のCX-8、購入価格は371万円です。他県の知事車は、セダンではなくミニバンのトヨタ・アルファードなどが主流となっており高級車よりは、より機動性が良いものになりつつあります。

県によると、新型コロナ禍で大幅な税収減が見込まれることなどから、現時点で来年度の財政不足は70億円を見込んでいます。

こうしたなかでのセンチュリー購入は、議案の議決権を握る議会への忖度ではないかとの声も出ています。知事車の5.6倍もする高級乗用車の購入は、無駄遣いのそしりを免れません。

知事は記者会見で「これまでの運用実績から従来通りとしたが、様々な観点で十分な比較検討を行う必要があった。今後は十分な精査をしていきたい。県民の皆様からの批判があるのも承知している。」との認識はありながら、売却して安い車に買い替えるかについては「考えていない。いろいろなご意見があると思うが、購入したものをしっかり運用し、有効活用をしていきたい」と苦しい胸の内をさらしています。

結局のところ、今回のセンチュリーの購入は、「皇室をだしにして、議長車を新調した」とみられても仕方がありません。

しかも、この20年間、県予算の説明資料に4台のセンチュリーの購入にかかわる記述はまったくありません。議会、県民にまったく説明しないまま、高価な買い物を続けていた県の姿勢が問われています。

識者も「財政難のなか、時代錯誤も甚だしい。」「黒塗りの公用車を権威やステータスの象徴とみる時代はもはや終わった。」「合理性を欠く支出と言わざるを得ない」とコメントしています。

その費用は国民の税金から~中曽根康弘元首相の葬儀費用について思うこと~

東京新聞9月30日の報道では中曽根康弘元首相の葬儀費用のことを以下のように報じています。一部を抜粋して紹介をします。

『故中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬の経費として政府は約9,600万円を支出する。故人を悼むのは当然としても、新型コロナ対応で財政が逼迫する中、1億円近い税金の支出は妥当なのか。

昨年11月に亡くなった中曽根氏の内閣・自民党合同葬は10月17日、都内のホテルで行われ、菅義偉首相が葬儀委員長を務める。当初は今年3月に予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、延期されていた。

「国葬令」が廃止された戦後、首相経験者の葬儀形式には明確な基準がなく吉田茂氏(1967年)は内閣主催の「国葬儀」、佐藤栄作氏(75年)は内閣・自民党と国民有志の共催で「国民葬」が行われた。

内閣・自民党合同葬が行われるようになったのは大平正芳氏(80年)からで、以後、岸信介、福田赳夫、小渕恵三、鈴木善幸、橋本龍太郎、宮沢喜一の各氏が合同葬の形式で行われてきた。

費用は内閣と自民党の折半で、近年では、橋本氏(2006年)の合同葬に7,700万円、宮沢氏(07年)には7,696万円が政府から支出されている。

中曽根氏の場合、約2,000万円が上積みされた形で、加藤勝信官房長官は記者会見で「延期前に比べて少し増加しているが、葬儀は簡素にしつつ、コロナ対策に万全を期す必要がある。そういう観点から積み上げられた必要最小限の経費」と説明している。

ただ、中曽根氏の合同葬には一般参列は想定されておらず、内外からの弔問も極めて限られる。

新型コロナ対策に万全を期すというが、コロナ禍で国民が苦しい生活を強いられ、国の財政も厳しさを増す中、1億円近い支出が妥当か、合同葬の規模や在り方を含めて検討の余地はなかったのか。

「前例主義を打ち破る」と菅首相は言っていたが、合同葬は先例などを総合的に勘案したという。期待外れの印象は否めない。』

葬儀にかかる予算総額は約1.9億円です。それを主催する内閣と自民党が折半する形で捻出します。内閣府の負担は一般予算の予備費から支出するものなので、純然たる税金です。さらに自民党の負担も、その原資の大部分は政党交付金なので、これも広い意味では国民の血税となります。

東京新聞も報じているように、コロナ禍で財政が逼迫するなかの支出は、国民的な合意が得られているのか極めて疑問です。

内閣府によれば、首相経験者でも必ず合同葬の対象になるわけではなく、生前の功績などを総合的に考慮して決まるそうですが、納税者の血税を投ずるのであれば、その税はともかく、明確な基準や説明があって然るべきでしょう。

さらに、国民一人当たり250円、総額300億円を超える政党交付金は、支持もしていない政党へ渡されています。

他国と比較しても、ドイツは日本の約2分の1の174億2,300万円(上限として政党収入の半分をこえてはならない)、フランスは日本の約3分の1の98億円、イギリスは、日本の110分の1の2億9,200円、アメリカ、イタリアではこの制度はありません。しかも使途が制限されていません。額も内容も世界でも異常な「バラマキ」と言われています。

この制度についても、「政治とお金」の問題として本当にこの制度が良いのかどうか改めて考えて見るべきではないのでしょうか。

持続化給付金~税理士が不正給付に関与か~

2020年9月25日の税理士新聞(会計事務所のための実践的経営情報誌)に信じられない記事が載っていました。あきれるというか空恐ろしい内容だったので全文紹介します。

記事の内容は次の通りです。

1800申請で5億円取得 沖縄県那覇市に事務所を構える50代の男性税理士が、持続化給付金の不正取得に関して約5億円を手数料として得た疑いがあることが分かった。複数のメディアが報じた。既に沖縄県警は事務所を含め関係先4ヶ所を家宅捜索。任意の事情聴取も行い、県内で多発している不正受給の操作を進めている。

税理士の男性は6月から7月にかけて、事業をしていない人たちに虚偽の確定申告書類などを用意させて、最大200万円の持続化給付金の虚偽申請を行っていた。関与先の従業員一人ひとりを独立した事業主に見せかけて多額の給付金を受け取った疑いもあるという。作成に関与したのは給付金の申請代行約700件、確定申告書1,000件で、着手金や手数料の名目で給付金の3割程度を受け取り、不正に取得した額は約5億円に上るとみられる。

男性は11日、琉球タイムズの取材に応じ、大量の申請代行を行ったことを認めた上で「なかには不正な申請も含まれたかもしれない」述べたという。

神津会長「言語道断」この報道を受け、日本税理士会連合会の神津信一会長は11日、ホームページ上で「持続化給付金等の適正な支援について」とするコメントを発表した。「給付金の不正受給は犯罪行為であり、税理士にはその未然防止の役割も期待されているところ、税理士自らが不正に加担することは言語道断」と強く批判し、「各税理士に対して改めて法令遵守を強く要請する」と呼び掛けた。』

どの業界でも多かれ少なかれ、嘘をついたり、ごまかしたりして法令遵守をしていない輩が少数だと思いますがいることは否めません。しかし、多くの税理士は不正に加担することなく、むしろ不正受給の未然防止に寄与しています。

当事務所にも、まったく所得税の確定申告をしていなく、申告に必要な証憑書類も残していないが、「友人たちが簡単に持続化給付金の受給ができているのでして欲しい。」と相談に来られましたが、「適正な申告をしないと手続きできません。」と説明したところ、他を当たってみるということがありました。

また、個人の白色申告者で「売上が1000万円を超えたので消費税の申告をしないといけないと知りながら、収支内訳書を付けずに単に所得金額を適当に申告された人」が来所され相談しました。事務所の方針として、「過年度分の適正申告を消費税、所得税ともしないとお手伝いはできませんよ。」とお伝えするとこの方も他の税理士を探すと言われました。「他の税理士も同じように答えますよ。」と念のためお伝えしておきました。

それにしても那覇の税理士は、税理士全体の社会的信頼を失墜した犯罪をこれほど多くやったことにあきれてものが言えません。発見されないとでも思ったのでしょうか。仮に発見されなかったら「得べかりし利益」はどうしたのでしょうか。困った人がいたものです。

カタカナ用語と日本語の国際化~異文化をどのように表現するのか~

新聞紙上のアンケート調査によると、近頃のカタカナ用語は理解できるかという質問に対して「いいえ」が72%を占めていました。その理由としてダントツの1位は、「意味がわからずモヤモヤする」2位は「漢字やひらがなで翻訳すべき」でした。

そういえば、税務署の問答集などがいつの間にか「Q&A」から「FAQ」に変わっていることに違和感を覚えたのは私だけではないでしょう。多くの税務署員に聞いても、変わった経緯や意味を理解していた人は1人もいませんでした。おそらく、財務省のキャリアが変えたものだと思いますが、上記アンケートの3位にある「気取った感じでイライラする」ことは否めません。

「Q&A (question and answer)」は日本語に訳すと『質問と回答』という意味で、ひとつの質問に関してひとつの回答が載っています。一方、「FAQ」は日本語に訳すと『よくある質問。(frequently asked question)』という意味で、質問だけでなくそれに対する回答も載っています。変えるのであれば、その意味や経過を問答集などに載せたら違和感の減少につながると思うのですが。

さて、漢字やひらがなで表記してほしいカタカナ用語の上位5位を上から並べると、インキュベレーション「親鳥が卵を抱く、転じて企業支援」、アジェンダ「議事日程、行動計画」、サブスクリプション「雑誌の予約購読」、オーバーシュート「度を超す、新型コロナが蔓延してきて感染者(患者)の爆発的増加」、インスタレーション「芸術的空間」の順です。

私見では、その意味を括弧書きなどしてそのままカタカナで表記した方がシックリいくのではないかと思います。

一方、日本語が国際用語になっているものもたくさんあります。私が週1回レッスンを受けている英語の先生が「信じられない」のダントツ第1位にあげたのが「Karoshi」過労死でした。その他、ネガティブなものとして「Hikikomori」引きこもり、「Otaku」おたくなどです。文化の違いからは「Susi」寿司、「Sake」酒、「Judo」柔道、「Tempura」天ぷらなどがあります。興味のあるものでは「Mottainai」もったいない、Anine「アニメ」なども使われています。

英会話レッスンで使っているテキストの中に英訳できないものの代表として「行ってきます」と「行ってらっしゃい」があります。もし英語で無理やり表現すると「行ってきます」は「See you later」、「行ってらっしゃい」は「Bye」になると記載されていました。

英語は世界各国で使われていますが、日本語は、島国である「日本国」でしか使われません。私は、英会話の勉強をする中で、多くの文化の違いを感じているところです。

今後、インバウンドを数多く迎えて「観光大国」にするという国家戦略がありますが、文法などもまるで違う英語を今の若者には身につけてもらい「バイリンガル」つまり「2つの言語で話せる能力を持つ人」になってもらうことが大事だと思います。そうでないと、否が応でも「グローバル化」している国際社会に通用しなくなるでしょう。

成長しない国ニッポンとアジアの世紀~内部留保のため込みすぎが成長を妨げているのか?~

20世紀は「戦争の世紀」と言われましたが、21世紀は「アジアの世紀」と呼ばれています。 それは、新しい世紀に入ってアジア諸国が大きな発展を遂げているからです。

20世紀のアジアの経済秩序は日本が握って成長を遂げてきましたが、一極から多極へと変容しています。この要因は、①日本の経済成長が停滞していること、②日本を除くアジア諸国が豊かになったことで、その国内市場が拡大し地場産業が台頭するようになったこと、③グローバル化が進展し、アジア諸国がものづくりになくてはならない「世界の工場」となったことなどが考えられます。

因みに、2000年のアジア主要国の一人当たりのGDPのランキング(単位千ドル)の上位5カ国を上げると、1位日本38.5、2位香港25.6、3位シンガポール23.8、4位台湾14.9、5位韓国11.9でした。

それが2016年になると1位シンガポール53.0(222.6%増)、2位香港43.5(170.2%増)、3位日本38.9(101.0%)、4位韓国27.5(230.0%)5位台湾27.5(230.0%増)と日本は3位に転落し、伸び率はほぼゼロです。

伸び率上位5カ国は、1位中国の846.0%、2位ベトナム540.5%、3位インドネシア414.2%、4位タイ290.9%、フィリピン277.2%となっています。もっと新しいデータがあれば、中国の伸び率はさらに上昇していると思われます。

この数字を見ると、日本がアジアの成長に乗り遅れた「成長停滞国」となっていることがわかると思います。その原因のひとつが、日本がアジア諸国を部品の供給基地としていることと、もう一つが企業の内部留保を増やし新規の投資を控え、さらに労働力を正社員から派遣等に切り替え人件費を相対的に抑えていることにあると考えられます。

このコロナ禍でも、大企業の内部留保は増え続けています。財務省が発表している法人企業統計から計算すると、2020年1月から3月までの内部留保の金額は487.6兆円と過去最高になり、この1年間で40兆円近く積み増しています。その理由は、2001年をピークにした人件費の削減と1997年から始まった法人税の減税によってもたらされたものです。

この内部留保は、新たな設備投資に使われ雇用を生む「健全な内部留保」と租税回避地などに金融投資をしたり、自社株買いをして雇用や市場の拡大につながらない「不健全な内部留保」がありますが、日本の大企業の内部留保は「不健全な内部留保」となっています。

現金・預金と売却可能な有価証券を併せたものを手元流動性と言います。財界は、「手元流動資金はすぐに使える性格ものではない」言っていますが、日経新聞によると日本の手元流動性が総資産に占める比率は12%で、世界平均企業の6%の倍にあたります。

この資金を臨時的にコロナ対策資金として課税をすることが必要ではないかと思います。この内部留保課税は台湾や韓国でも実施されています。「富の偏在」をコロナ禍で破綻寸前の企業の救済や職を失ったり、大幅に賃金が下がっている人たちに給付金としてお金の循環を作り出して行くことこそ、「成長をする国」への回帰につながり「税の正義」にもかなうのではないでしょうか。

今とる経済政策の最善の策は消費税を0%に凍結することです。~コロナ禍の中でドイツは付加価値税を7月から下げました~

「リーマンショック級の出来事がない限りは予定通り」この言葉を何度聞いたでしょうか。10%への引き上げを見送る常套句でした。

予定通り安倍内閣は、昨年10月に消費税の10%への引き上げという庶民大増税を強行しました。そのため、昨年10月から12月の四半期のGDPは年率で7.3%も減少する異常事態になりました。そのうえ今年からのコロナ危機で、日本経済は大不況に陥っています。

この不況から脱し、景気を回復させるうえで焦点となっているのが、消費税の減税です。

消費税率の引き下げを求める国会議員は自民党の112人、野党も併せると全国会議員の約30%になっています。消費税という税は、最も生活に密着してしかも、富裕層に有利で庶民に冷たい「逆進性の極めて強い」税制です。

ドイツでは、7月から標準税率を19%から16%に引き下げ、軽減税率を7%から5%に引き下げました。減税規模は200億ユーロ(約2.5兆円)で、新型コロナウイルスの感染拡大前の付加価値税収の1割弱に相当します。日本でもぜひ消費税減税を実現させましょう。

7年半におよぶアベノミクスは、大企業と富裕層をうるおしただけで、貧困と格差をさらに大きく広げました。しかも、このコロナ禍のもとでも大企業の内部留保は増え続け、488兆円にもふくれあがっています。いっぽうで社会保障は、介護、医療、年金などあらゆる分野で、給付の削減と負担増が実施され、庶民の負担はふえるばかりです。

いまこそ大企業と富裕層に応分の負担を求めて消費税の減税を実現すべきときです。当面は、ドイツ付加価値税減税のように現行の10%(軽減税率は8%)を5%にしていく、その結果経済が上昇基調になってくれば当面の間消費税をゼロに凍結すべきだと考えています。

財源はあります。消費課税に重きを置くのではなく、所得課税、資産課税にウエイトを置くのが本筋です。「不公正な税制をただす会」の試算では、大企業優遇税制をただすことで10.8兆円、法人税に所得税並みの累進税率の導入で10.5兆円、さらに所得税の累進制の強化で13.4兆円、所得税金融所得の課税強化で5.5兆円、相続税の累進制の強化で1.1兆円、合計41.3兆円の新しい財源試算を公表しています。令和元年度の消費税収21兆7190億円を廃止しても、20兆円のおつりがきます。

「消費税を一度下げたら再び上げるには数十年かかる」そんなばかげた理由で消費税引き下げ税論議を一蹴していることもあるようですが、どんな税目でもこれまで上げ下げは、頻繁にしています。繰り返しになりますが、ドイツ付加価値税減税を見習いましょう。

陸上イージス・アショアは撤回に、辺野古新基地計画も即刻止めるべきです!~日本の防衛計画を考えてみました~

新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備計画の停止をめぐり、河野防衛大臣は6月25日午前、自民党の安全保障に関する会議に出席し、政府が6月24日開いた国家安全保障会議で山口県と秋田県への配備を断念したことを明らかにしました。

元々は、「北朝鮮の弾道ミサイルの脅威から国内を守る」とのうたい文句でしたが、実際は「北朝鮮からハワイやグアムの基地に飛ぶミサイルを、海上イージス・アショアで迎撃できなかった場合に、萩市と秋田市のそれぞれの陸上基地から迎撃するのが狙いでした。

この配備計画は安倍晋三首相がトランプ米大統領と兵器の「爆買い」の約束から始まりました。既に米国政府と1,800億円の契約が交わされ、そのうち125億円の血税をコロナ禍において支出しています。さらに損害賠償金等の費用がかさむと思われます。

それ以上に重要なことは、沖縄の玉城知事もTwitterで米軍普天間基地の辺野古基地への「移転」(新基地建設)も断念し、普天間基地を即時返還するように求めていますが、私は、即刻辺野古基地の埋め立てを中止すべきだと思います。

民意は、明確です。自民党が総力をあげて戦った6月7日投開票された沖縄県議選でも玉城知事の与党が過半数を維持しました。しかし、翌日の管官房長官は「かなり(移設への)理解が進んでいるのではないか」と語り、埋め立て工事をわずか5日後に再開しました。

安倍政権は18年12月から埋め立て工事を始めていますが、18年度末までに1,471億円をつぎ込んだにもかかわらず、その工事の進捗率はわずか1%です。また、マヨネーズ状の地盤改良費を含めると建設費用は2兆5,500億円(沖縄県試算)かかります。仮に完成したとしても、使える基地なのかどうかわかっていません。コロナ禍、不要不急の無謀な計画は即刻止めるべきではないでしょうか。

私には、ある思いがあります。それは、日本国憲法を愚直に守ることです。その中でも特に第9条こそその核心だと思います。爆笑問題の太田光氏も提言していたように「日本国憲法をノーベル賞」にすべきではないかとの意見に大賛成です。特にその2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」としています。

しかし今の自衛隊は、外形的に見ると誰がどう見ても軍隊です。同じ税金を使うのならば、自衛隊を「国際災害救援隊」に組織改編し、国内・国外に関わらず、地震、台風などの自然災害や事故が発生したら真っ先に救援活動に行く組織にすれば良いのではないかと思います。私が幼少時にTVで観ていた「サンダーバード」のようなイメージです。

そんな組織がある国に、どこの国が攻め込んでくると言うのでしょうか。防衛費の予算5兆円よりは費用対効果があると思います。防衛には抑止力が必要だと言うことは一見正論だと思います。しかし、本当にそうでしょうか?

軍隊を捨てた国にコスタリカ共和国があります。この国は国家予算の大部分を教育関係に注ぐようになり、現在の識字率は97%までなりました。日本も少し見習うべきでは?

ドイツの最新情報~降伏75周年とコロナの対策としてのマスク着用~

ドイツでは、5月8日はナチス・ドイツが降伏してから75周年を迎えました。ベルリン市は今年に限り祝日としました。また人種や宗教などによる差別が絶えないなかでも「ファシズムからの解放の日」として恒久的な国民の祝日にしようとの声も上がっているようです。

この日シュタインマイヤー大統領は首都ベルリンで演説をし、多くの苦しみや犠牲を生んだナチス・ドイツの歴史を直視することが国際社会の信頼の獲得や民主主義や自由を守ることにつながると語りました。メルケル首相も献花をしました。

氏は「私たちがナチスの過去から解放されることはない。思い出すことを怠れば未来を失うと」と強調しました。そして「責任を受け入れるからこそ世界の人々から信頼され、私たち自身もドイツを信頼できる」とのべました。

ところで、二女が住んでいるノルトライン=ヴェストファーレン州(州都はデュッセルドルフ)では、新型コロナウイルス感染防止のための接触禁止、営業禁止等に関わる条例を改正し、マスク着用義務等に関する条文を追加・公表(おそらく全ての州が同じようにしていると思います)しました。二女によると欧州人は元来マスクが大嫌いだそうです(それがイタリアなどの感染増につながったという報道もありました)が、それに踏み込みました。

その主な内容は「公共交通機関や小売店を利用、訪問する際、ならびに営業を許可されているサービス(医療機関訪問を含む*)を受ける際、小学生以上の全ての市民にマスク(自制のものやスカーフも可)の着用が義務づけられる。なお、健康上等の理由にマスクを着用できない場合には適用されない」というものです。

*具体的には、小売業、市場、レストラン(テイクアウト時)、ショッピングセンター、展示販売店、医療機関利用時、または、その他1.5メートルの距離が確保できないサービスの受領時。

わが国の極めて曖昧なものと違って、政府(具体的には州)が明確にマスクについての基準を設けていることはさすがだと思いました。

「9月入学」問題について思うこと

コロナウイルスの影響で急浮上してきたのが、9月入学の是非です。多くの学校が自主規制によって遅いところでは、6月末まで学校が再開されません。一方すでに再開している学校も少なくありません。また、オンライン授業を試みているところもあるようですが、それもその環境のない家庭では受けられないという「教育格差」も横たわっています。

今の小学校入学を9月にすれば、世界の主流である秋入学となります。秋入学の例外としている主な国は、シンガポール1月、オーストラリア•ニュージーランド1月末~2月初め、韓国3月、タイ5月、フィリピン6月、ドイツ8月などです。

9月入学にすれば留学生や研究者の交流が増え、企業の外国人採用などの国際化が進む大きなメリットがあります。

一方、入学を後ろ倒しにすると今の小学生1年生の入学が6歳児なので日本だけがすごく遅れた入学になります。前倒して義務教育の始まりを5歳にすると国際標準よりも速くなり世界の中で優位性も発揮できるのではないかという識者もいます。

ただ、秋入学にすると様々な問題が出てきます。ことを一気に進めれば、その学年だけ生徒数が4割ほど増えてしまうなどにより、教室や教師をどう確保するかが大きな問題になります。その他社会構造全般を揺るがすような様々な課題と直面しなければなりません。

また卑近な問題では今般、中止になった夏の風物詩でもある「高校野球の夏の大会」をどうするか「秋のインターハイ」など学校行事も大きく変えなければなりません。

大学の入試制度改革、中高一貫教育、飛び級制度の採用の是非、教師の超過密労働の解消などなど、学校教育に関わる問題を大きく国民的に論議にしていくことのプロセスが大事で、政治家や行政だけに頼っていたらいけないと思います。

現在、憲法の改正論議がしきりに言われていますが、憲法論議をするなら、この問題を国民的論議とするのは有益でしょう。基本的には私は秋入学に賛成ですがコロナ禍の今、やるべきことではないと思います。それはあまりにも短絡的すぎるからです。じっくりやることが肝要です。