月別: 2017年12月

自治体の地方創生が失敗する3つの理由

安倍政権がアベノミクスと並ぶ看板政策としている地方創生。全国各地でさまざまな地方創生策が打ち出されていますが、そのほとんどは失敗に終わっていま す。鳴り物入りで進める地方創生策はなぜ、うまくいかないのでしょうか。大きく分けて3つの原因が足を引っ張っているように感じます。

(1) 自治体の個性を消す横並び意識

その第1が自治体の横並び意識です。全国の都道府県、市区町村が急激に進む人口減少と高齢化の中、地方創生総合戦略策定しています。それぞれの地域をどうやって発展させていくか、各自治体が知恵を絞っているわけですが、盛り込まれた内容はIターンの受け入れ、特産品のブランド化、訪日外国人観光客の受け入れなどどこかで聞いたことがあるものばかり。ところどころにうまいキャッチフレーズが入っていても、目新しい中身は見当たりません。

総務省のホームページに掲載されたふるさと納税の返礼品も同じです。どの自治体の返礼品もお得感のある特産品がずらりと並びます。肉や水産物など目玉となる返礼品は違っても、特産品で釣り、寄付金を集めようとする発想は共通しています。横並び意識が個性発揮の邪魔をしていることは間違いないでしょう。

移住者の受け入れで先進地とされる島根県海士町、昭和30年代の商店街を再現して観光地となった大分県豊後高田市は、地域の歴史や自然、風土を地元の人たちが最大限に生かして地方創生策練り上げました。地道な努力を忘れ、どこかの成功例と似た施策を打ち出したところで、成功につながるはずもないのです。

施設建設から商品開発までありとあらゆる計画をコンサルタント会社に外注する自治体の姿勢も、この傾向を助長しています。オリジナリティに欠けたパクリの地方創生策が通用しないことを肝に銘じなければならないでしょう。

(2) 学ぶべきは過去の失敗例

第2の問題点は過去の事例から学んでいないことです。といっても政府やコンサルタント会社が宣伝している各地の成功例を学べといっているのではありません。学ぶべきなのは失敗例なのです。

青森県青森市は中心部に都市機能を集約するコンパクトシティ構想を掲げ、JR青森駅前に2001年、商業施設や公共施設が入った再開発ビルを開業しました。一時はコンパクトシティの先進地として注目を浴びましたが、客足が伸びずに2008年、事実上の債権放棄に陥っています。

中心市街地の再開発を望むなら、こうした失敗例を徹底的に研究しなければ、同じ過ちを犯すでしょう。失敗例を精査し、その原因を自分たちの計画に当てはめて考えれば、問題点が目に見えてくるはずです。

地方創生はどこかが成功すれば、別のどこかが影響を受けて廃れていく椅子取りゲームのようなものです。勝者はほんのひと握りしかいません。「予測が外れた」「状況が変わった」などと後で言い訳せずに済むよう失敗例から徹底的に学ぶ必要があるのです。

(3) 地域に不可決なリーダー育成

3つ目は地域を引っ張る民間のリーダーを育てることです。

長野県小布施町を観光の町として活性化させ立役者は、セーラ・マリ・カミングスさんという米国人女性でした。徳島県上勝町で木の葉を和食の飾りとして販売する葉っぱビジネスを成功させたのは、徳島県徳島市出身の農協職員横石知二さんです。

最終的に事業を動かし、地域に元気を与えるのは地元の人たちにほかなりません。自治体がいくら補助金を積んだところで、補助金が打ち切られればその効果は失われます。

カミングスさんや横石さんは自ら率先して地方創生に取り組み、自治体が後からついていきました。

自治体主導で地方創生策を進めるのなら、カミングスさんらに代わりうる地域のリーダーを同時に育てなければなりません。どれだけ立派な施設を自治体が整備しても、地元の人たちが積極的に動かない限り、その計画は失敗します。

世の中を変えるのは「よそ者、若者、変わり者」だといわれます。そういう人物を地域で発見するか、呼び込んで、リーダーに育てることが本当に大切なのです。多くの自治体はこの点を見落としているように感じてなりません。

※政くらべ 2016年1月9日 より引用

私の体型の遍歴~頑張りすぎずに頑張り何より継続させることが一番です~

私は、結婚したころから体重に大きな変動があります。それも相当の回数です。そのたびに、スーツなどの衣料品の購入費用の支出はかなり多くなりました。身長が173cmの私のこれまでの最高体重が84キロ、最高に絞った時が63キロでした。

一時、ジムに週のうち3回程度通い、1時間エアロバイクをこぎながら読書をしていました。ところが、人間ドックで前立腺がんの疑いを調べるPSAという検査結果に異常がでて泌尿器科の先生の指示で、エアロバイクをやめることになりました。その結果、検査数値は下がりましたが、絞った体重は、再び右肩上がりになりました。

その翌年の秋口には、何が原因かわかりませんが2日間で体重が8キロ増加し、体中がパンパンに腫れるという摩訶不思議な異変が私の体に起きました。かかりつけの先生の所に行ったら、即、日赤病院にいって診断をしてもらうような指示が出ました。その日は税務調査があることになっていましたが、そんなことは言っていられません。皮膚科、血管外科、内科と3つの診療科目を回り、血液検査にCTまでする羽目になりましたが、病名はわからずじまいでした。80キロを超えた体重も、結局4週間の抗生剤と抗菌剤の投与と、症状が橋本病という甲状腺の分泌が少なくなる病気に似ていたので、その分泌をよくする薬を約3月間続けました。その結果、正月の時点では75キロまで体重が落ちました。

しかし、その後は一向に減りません。特に、体脂肪率が25%超というまさにメタボという状態でした。ジムのトレーナーからのアドバイスで、食事・運動の仕方を改めて見つめ直すとともに、確定申告が終了する日に70キロを切るという目標を手帳に書き込みました。不思議なもので10日早く3月5日に69.9キロになりました。やはり、仕事においてもそうですが目標を掲げることは大事であると実感しました。その後も多少の紆余曲折がありましたが、大きなリバウンドはありません。野菜中心の食生活とお昼は愛妻弁当のおかげで、体重は71キロ(BMIという指数でいうと66キロが理想らしいのですが)、体脂肪率も23%まで落ち、体年齢は53歳と実年齢の60歳より7歳若くなりました。

「継続は力なり」という言葉がありますが、毎朝、高機能体重計に乗り、手帳にも毎日の体重や睡眠時間、食事の量と内容・食事時間を書くことをやり続けることが功を奏したのでしょう。お陰様で、2017年10月14日、「還暦までに日本100名山を制覇する」という目標が達成できる体作りができたのだろうと思います。

今は、高校2年生で途中退部した剣道(あと少しで3段というときに辞めてしまいました。この件は、また報告します。)をやり始めました。これも無理をせず継続していきたいと考えております。

ここにも監視型社会が~税理士だって監視されている~

弁護士の場合は、弁護士自治により、弁護士会や日弁連が懲戒権を持っています。ところが、税理士の監督は税理士会、日本税理士会連合会、税務署、国税局、国税庁が担当しています。広島国税局に対応する中国税理士会は約3,000人の会員を擁していますが、以前はその監督役として税理士監理官1人でした。その後、総務課に税理士専門官を配置し、2名体制になりましたが、現在では、もう1名増員して3名体制で税理士も管理されています。

その管理は、税理士システムで行われています。「税理士システムは、税理士等に関する情報を管理することにより、税理士制度の適正な運営確保を図ることを目的とする。」と明記されています。「税理士システム事務処理要領(税務署用)の制定について(事務運営指針)」(官総-83、官参5-2 平成20年6月27日付)の冒頭のシステムの概要のところで記載されています。

事務運営指針は、「事務処理の範囲」のところで、税務署において「税理士システム」を行う事務として(1)入力事務、(2)検索・照会事務、(3)帳票出力事務が掲げられています。

興味深いのは、(1)入力事務として、①税理士会支部の役職歴情報入力②文書情報入力③税理士等の関与先・使用人情報入力④税理士等の指導監督状況入力があります。同じような内容が、 (2)検索・照会にあるにかかわらず、(3) 帳票出力事務にはこれらが掲げられていないことです。

さらに、(1)②の文書情報入力として「附加情報メニューの文書情報更新画面において、指導・監督等を行う上で参考となる情報を文書(全角600字以内)で入力とするとあります。いわゆる定性(個人)情報、例として税理士等情報連絡せんの情報、調査等で把握した情報、部外情報等」とあります。

残念なのは、これらの内容が帳票出力されないので、非公開情報として、開示請求がかなわないことです。こういう現象を「情報の非対称性」と言うのではないでしょうか。つまり、一方(国税局)がそれぞれの税理士の情報を所有していて、仮にその情報が誤りであったとしても、もう一方の当事者(税理士)には、それを正す権能さえないことです。

日頃から税理士の社会的使命を全うしようと努力している会員からすれば、自浄効果が期待される内容(税理士が税務当局から、どのように判断されているか。)が開示されず、不意に懲戒処分されるのではないかという一抹の不安が払拭できないのが私の思いです。

税理士には、税理士法第1条においてその使命が規定されています。それは、「税務に関する専門家として、独立した公正な立場」において、「申告納税制度の理念にそって、納税義務者の信頼にこたえ」、租税に関する法令に規定された「納税義務の適正な実現を図る」ことです。

このため、税理士には様々な義務と責任が課されており、これに違反した場合には、懲戒処分等に付す規定が設けられています。

税務当局が作成した資料から、非行事例に以下のものがあります。

1 脱税相談等

2 故意による不真正税務書類の作成

3 過失による不真正税務書類の作成(相当の注意を怠った場合)

4 自己脱税

5 多額かつ反職業倫理的自己申告漏れ

6 業務懈怠

7 その他反職業倫理的行為

8 2か所事務所設置違反

9 使用人等に対する監督義務違反

当然ながら多くの税理士には心当たりのないことばかりと思いますが、実際、私たちは税務当局からどのように見られているのでしょうか。

「独立した公正な立場」を堅持しながら、マイナンバー等これからも法令の遵守がますます求められる立場として、税理士システム等の開示請求がなされることで、「自律・自戒に基づき適正な業務遂行に励める」環境づくりがなされていくことを強く望みます。

監視型社会と人権を考える!~税法にも忍び寄る内心の自由の侵害~

IT型社会の進展に伴い私たちの暮らしは飛躍的に便利になっています。多くの事業所でも家庭でも監視カメラを置いています。弊事務所でもわが家でも管理システムで守られています。スマホのGPS機能を使えばカーナビの代わりになります。また、超方向音痴の愚妻は道案内に便利に使っています。このように私たちの生活は安全になり、そして便利になりました。

でも、こうした情報を誰がどのように管理しているのでしょうか?私たちが知らない間にその情報が利用されているかもしれません。どこもかしこにもある監視カメラで警察は犯人を割り出すのに役に立っているのかもしれませんが、冤罪を起こす可能性もあります。現に、山口県長門市のパチンコ店で女性が財布を盗んだとして警察に逮捕されました。それはたまたま店内の防犯カメラに彼女がその財布が置かれていた隣の席で遊んでいた姿が映っていたからでした。そのため、新聞にも大きく載り、警察にも8日間拘留されました。それが「誤認逮捕」とわかったのは店内のゴミ箱から財布が見つかり、それも防犯カメラに映し出された映像からまったく別の人物だったことがわかりました。「自分が取ったと言えば楽になると思った。」と報道もされました。もし彼女が警察の厳しい取り調べに屈服していたら、またまた冤罪を引き起こす可能性もあったのです。

「テロを未然に防止する」という名目で「盗聴法」「共謀罪法」が強行採決されましたが、「共謀罪法」が施行されているフランスでもテロは未然に防げていません。こうした個人の内心に踏み込むものが国税通則法改正に伴い来年3月から施行されます。改正通則法の126条には「扇動罪」なる規定が盛り込まれました。126条は「納税義務者が国税の課税標準の申告をしないこと、虚偽の申告をすること又は国税の徴収若しくは納付しないことを扇動した者は、3年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。2項は、納税者がすべき申告をさせないため、暴行又は脅迫を加えた者も、前項と同様とする。」と規定しました。

「扇動」とは、「そそのかすこと。おだてたりあおりたてたりして、ある行動を起こすようにしむけること。アジテーション。教唆。」(日本国語大辞典より)と言う意味です。そうなってくると、税理士業務にも多く影響する可能性もありますし、ましてやこの中身を知らない人は処罰される危険性を孕んでいます。

また、この法律が「共謀罪法」の277ある対象犯罪の中の、地方税法、関税法、所得税法、法人税法、消費税法(なぜか相続税法が入っていません。富裕層に対する忖度なのでしょうか?)とリンクしているのではないかと思えて仕方ありません。

いずれにしても、これらの「内心の自由」に深く入り込んだ法整備は、戦前の最悪の法律と言われた「治安維持法」を彷彿させます。こんなことが、政府の手で着々とやられていくことに恐怖感を覚えます。ドイツの神学者ルター派の牧師、反ナチ運動家でもあるマルティン・ニーメラー牧師の言葉に「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」と名言がありますが、この国の進む方向がこれで良いのかもっと論議を重ねないといけないと思います。

“サクラ咲く”翌日には奈落の底に

「事務所の月次顧問先さんが滞納していた消費税、源泉所得税とその付帯税、合計約120万円が昨日、差押えになりました。差押物件は今月末に入金予定の売掛金です。この社長や奥さんはすごくいい人なので何とか解除してもらえないでしょうか、そうしないとたちまちの運転資金が枯渇してしまいます。」と弊社の担当スタッフからSOSが私に入ってきました。

とにかく、お客様の会社に行って事情を聞くしかありません。残っていた業務を急いで済ませ、会社に駆けつけました。そしてお話しを聞きました。

まず驚いたのは、社長夫婦のご長男が、差押えがあった3月8日の前日、つまり7日に某国立大学に合格して、夫婦で喜んでいた矢先のまさかの差押えだったことです。文系の私にはよくわかりませんが「宇宙物理学」という勉強をしたいので、一浪をしての「サクラ咲く」だったようです。私立大学も3校受けてすべて合格したのですが、センター試験の点数が予想外に良かったので、入学金をどの大学にも払わなかったそうです。本人も一浪して第一志望の大学に合格したことは、殊の外嬉しかったでしょうが、ご両親の方が本人以上にその喜びを体感されたのではないでしょうか。

奥様に話を聞くと、せっかく貯めていた大学進学のための資金を会社の運転資金にしていたのです。それに対する罪悪感なのか最近うつ状態になっていたそうです。通常は、差押えがある場合は「差押え予告書」が交付されるのですが、税務署に対する当初の支払い計画が順調にいかなかったので余計に足が遠のき、昨年末に交付された未納額明細表以外の書類は中身を見ずに処分したということでした。

この会社は、私どもの税理士法人に変わる前の他の税理士事務所の初期指導に問題があり、貸借対照表の借方に社長貸付金が多額にあります。また、担保になるものが何もないので、金融機関に既にリスケをしていますし、信用力のなさの証なのでしょうか、金利が異常に高いのです。

また、社長と奥さんとのパパ・ママ工務店で、社長の大工としての腕は良いのですが「偏屈」「頑固」が災いして営業ができるタイプではないのです。しかも、消費税が増税する前に駆け込み需要があったものの、増税後の売上はサッパリなのです。そうした中で、女性経営者で女性の感性を大事にしたリフォーム会社との接点ができました。まさに、私どものお客様である会社にとってはまさに「希望の星」でした。しかし、その女性社長の会社も創業して間もありません。その女性経営者の会社に対する売掛金を差押えされたのです。

広島国税局の徴収部機動班から出向してきていると思われる徴収官が女性経営者の会社に赴き債権差押通知書を作成し、女性社長がそれを受領したのは3月8日16時55分と債権差押通知書に記載されたそうです。その徴収官と入れ替わるように、月末の運転資金をお願いしていたある銀行の営業担当者がやってきて、女性社長は、私どものお客様である会社に支払うべき未払金の一部が差押えになった旨を銀行の営業担当者に伝えたところ当初は「問題ないでしょう。」と言うことだったのです。そして、女性社長は私どものお客様にすぐに連絡をしてくれ、「税務署の差押えの件や銀行での借入れの決済のことについて心配しなくて良いのでこれからもよろしく。頑張ってくださいね。」と電話を切られました。

しかしその10分後に再び女性社長から電話があり、その銀行の営業担当者が私どものお客様である会社の発行した領収書がないと貸付けができないという支店からの指示があったので、今晩中に領収書を持ってきてくださいと不機嫌な様子に変わっていました。

社長は、女性社長の会社との今後の継続的な仕事ができるかどうかということと、売掛金もまだ貰っていないのに「前日付」の領収書を発行して良いものかどうか頭を抱えていました。

私は女性社長に電話をして、徴収担当官の名刺をFAXして貰おうと私どもの社長に頼んだところ、女性社長は徴収官が作成したすべての書類をFAXで流してくれました。一連の文書で「差押債権の振込口座」がありました。口座番号等が記載されている「記」より上3行目のところに「納税者から苦情等ございましたら、当署あて出署又は連絡するようにお伝えください。」という一言があったので、これを活用することにしました。

早速、国税局の機動班の職員が差押えをしたことや、差押えをするにあたり適正な手続きができているかどうか疑問だったので、総務課長と話をするため、16時過ぎに所轄署に連絡をしました。あいにく総務課長は出張で留守でしたが、総務の職員に適正手続きができていない可能性がある、約120万円を差押えられるとお子さんの「サクラ咲く」が夢物語になる蓋然性が高い、得意先との信頼関係が崩れてしまうなどを告げ、翌朝一番の8時半に、社長、奥様、私が総務課長と面談することを約束しました。

余談になりますが、実はこの総務課長と私は一定の信頼関係があります。それは、ひどい税務調査の後始末で私どもの事務所に相談に来られた納税者の方について、十分な聞き取りをし、当該税務署長宛に「抗議文」を提出すると同時に個人情報開示請求書により調査経過記録書を請求したところ、「自分たちは正しいことをしているつもりだが、特に税理士非関与の調査については、もっと納税者の理解と協力を得るようにしなければ税務署と納税者の信頼関係は構築できない。」と調査担当者に教育的指導をしてくれた人なのです。その後、別件でその署に行ったときに、総務課長を表敬訪問した際「先生のおかげで、調査の現場の実情を知ることができありがとうございました。今後とも、苦情等があったら何でもお申し付け下さい。」との会話を交わしていた女性総務課長でした。その後も、その署に赴くときはお互いに挨拶をする関係になっていました。

さて本題に戻りまして、翌日、10分程度社長と奥様と打ち合わせをした後、総務課長と面談しようと思ったら、徴収の統括官も同席ということになりました。社長は口下手だし、奥様はうつ状態だったので、私がシナリオを作り、事実関係や要望事項などを述べました。シナリオは、①事実関係→省略、②心配していること→やっと掴んだわが社にとっての「希望の星」である得意先に滞納の事実が分かることになった。そのことで、今後の継続的な取引ができなくなるのではないか。差押えされた金額は、長男の進学資金として当てにしていたものであったこと。その得意先の売掛金以外に資金化できるものはなく、個人の預金も10万円位しかないこと。借入れをしようと思ってもリスケ中なので新規融資は無理であること。得意先の融資などに支障が出てしまうことはとても心配であること。③なぜ資金繰りが悪化したのか→消費税が5%から8%になったのが主たる原因であること。④延滞に至った経過とデュー・プロセスの適正性→本当に税金に支払うお金がなかったこと。結果的に払えないのに署に赴くことや、電話することは精神的に辛かったこと。それについては深く反省していること。差押え予告書は見ていない。適正手続きが本当にされたかどうか分からない。⑤結論→即刻差押えを解除すること。失われかけている得意先との信頼関係をどう修復するのか。滞納している税金は少しずつでも返済すること。換価の猶予を職権でして貰うこと。

それに対し徴収部門の統括官は、「署の方から何回も電話連絡をしたりしたが一向に電話にでられないので、それまで担当していた再任用の職員が昨年退職してからは、新しい担当者が9月に連絡票をポストに入れた。その後も電話や訪問をした。そして、最後通牒として2月22日にポストに差押え予告書を入れた。その後、財産調査をしてその過程の中で売掛債権の存在を発見した。平成22年分の滞納もあるのに当然の措置である。」とかなり強い口調で答えました。

奥様が堅い口を開き、「本当に会社の仕事がないので私は明け方までパートの仕事をして家計支え、長男のための進学資金を貯めてきたのにそのお金も…そして会社の運転資金まで手を付けてしまった。」と涙ながらに話をされた。「本当にお金がないんです。何とかならないんでしょうか。息子の頑張りを親として無駄にはできません。」と絞るように話されました。明らかに風向きが変わってきました。

最後の最後に、昭和35年1月に書かれた我妻栄先生(私が学生時代に民法を少しかじったときには「我妻民法」と呼ばれていた民法の権威者で東京大学法学部教授でした。私が学んだときには既に鬼籍に入られていました。)が、租税徴収制度調査会の会長をつとめられた感想を、国税徴収法精解のはしがきに書かれていることを紹介しました。大事な部分だけ引用すると「~新国税徴収法の認める租税債権の優先的効力も、その徴収に当たって用いる強制力も、その運用を極めて慎重にすべきことが諒解されていることである。~いいかえれば、これらの優先的効力の主張も、強制力の実施も、真にやむを得ない場合の最後の手段としてはこれを是認せざるをえないと考えたからである。従ってまた、徴税当局がこれらの制度の運用に当たっては慎重の上にも慎重を期することが、当然の前提として諒解されるのである。~」それを一気に読みました。

総務課長は「私は徴収のことは余り分からないけど何とかならないの。」の一言に続いて徴収部門の統括官が「私も、徴収の仕事を40年やってきたので、いろいろなことを経験しました。裏切られもしました。でも、最近、定年間近になって少しだけ人を見る目ができてきました。順番は逆になりますが、明日中には差押解除通知書を出しましょう。」という顛末になりました。私も余りにも潔い対応に驚きました。

社長や奥様の親としての子どもに対する責任や誠実な態度、そして奥様の絞り出すような声が統括官を動かしたのだろう思います。

統括官は、「順番が逆になるので差押解除通知書に必要な書類は速やかに出してくださいね。先生も忙しいことは重々分かっていますが納税者の方の書類作成の援助と次回の同行もお願いしますね。11日には送付できます。そのときに必要書類を書いておきますのでよろしくお願いします。週明けの14日の朝一でどうでしょうか。」納税者も私も同意しました。

この決済は、県下で一番大きな税務署の特別国税徴収官の決済も必要だったのでしょうか。書類にその官職の名前も出ていました。

対応した部屋を出る前に総務課長が、私が読んだ「我妻栄先生の書き物をコピーさせてください。私も勉強したいんで。」コピーを取っている間に徴収部門の統括官も、「実は税務大学校で我妻先生の民法は勉強させていただきました。」との弁。コピーから返って来られた総務課長も「我妻先生の民法は、税務職員にとってもバイブルなんですよ。」と我妻先生論議に花が咲きました。

14日、徴収部門の統括官が「既に、納税者からの換価の猶予の申請はできませんので、職権で換価の猶予をやります。これをすると延滞税の税率が9.1%から2.8%に下がりますから。それとおそらく一年では完納は無理でしょうから、毎月返済可能な金額を記載して貰って、最後の月に残額を記載してください。残額については1年後に相談しましょう。その代わり今後発生する、消費税や源泉所得税は必ず期限内納付をしてくださいね。そうして貰わないと、この計画が元の木阿弥になりますから。先生もその当たりのアドバイスをよろしくお願いしますね。」これまた、驚きの措置です。

「なぜ、そこまでの配慮をしてくれるのですか。」と私が聞くと、「前回の話を聞いて、何の対応もしなければ、ある種のいじめになります。私は結婚が遅かったので、これから高校受験をする子どもがいます。1人の人間として共鳴するものがあります。」

女性の徴収官が担保提供書や納税保証書をつくっていました。ところが収入印紙200円が要ることに気づきました。聞けば税務署には売っていないとのこと。社長も奥さんも書類作成に一生懸命でしたので、私が近くのコンビニまで走って5分で何とか調達してきました。

書類がすべてできあがり女性徴収官がコピーしている間に、統括官は、「消費税増税に反対だ」と力説していました。それはどうしてですかと尋ねると「価格転嫁がなかなかできないのがこの税の本質です。だから滞納も増えるんです。」「定年になっても、税理士にはなりません。だって、それでは飯が食えないので。さりとて、共済年金が満額もらえる65歳になっても、その額では生活できませんね。同世代の人は皆さん同じことを考えているのではないでしょうか。だから個人消費が増えないんですよ。」

本当にその部分は私も共鳴するし、そんなことまで言っていいの?と思うほどでした。税務職員も組織人の側面と人間としての側面と両方持ち合わせていることを痛切に感じました。しかし、一方で当局では、徴税・徴収マシーンの製造もされているのもこれまた真実でしょう。だから、国税職員にはメンタルな病気の人が多いのではないでしょうか。

今般の総選挙で安部総理は、2019年10月からの消費税の増税の使途を借金の返済から変えて、「子ども」を人質に取り、野党のごたごたの不意を突いて大勝しました。しかし、安倍首相が「景気も回復した。株価もどんどん上昇しているでしょう。」といっても足下の経済はまるで実感がなく、デフレ傾向は継続しています。

このまま、本当に消費税を増税すれば、庶民の生活はますます疲弊し、中小零細企業は、消費税の滞納がますます増えてきて「消費税倒産」の憂き目に合うところが出てくる蓋然性は極めて高いと思います。

ボン税務署訪問記~アポなしの日本人に会ってくれた税務署員~

前回に引き続きドイツでの訪問記を書きたいと思います。ちょうどクリスマスシーズンということもあってか、ベルリンの壁崩壊の前の西ドイツの首都であったボンの街もご多分に漏れずドイツらしいクリスマスマーケットで賑わっていました。歴史を感じるボンの市街をぐるりと一周回ることにしました。近くの教会、生誕地が彼の地であるベートーベンの像、そして、かの資本論(2013年に「共産党宣言」とともにユネスコの世界記憶遺産に登録された。)の執筆者であるカール・マルクスが学んでいたというボン大学(娘の出身大学の提携校でもありました。)の散策をすることになりました。大学へは立ち入り自由で、学生がくつろいでいる喫茶室、図書館などものぞきました。荘厳という形容詞が似合うキャンパスで、大学そのものが博物館のようになっています。

少し歩いたところにボン税務署があります。いよいよ今日のメーンイベントです。受付は全面ガラス張りで、受付の職員とはガラス越しで話すようになっています。もちろん写真撮影は禁止です。1階の受付を通り過ごして上の階へ行きました。1人の職員に対し1部屋のオフィスとなっているのは娘が勤めるドイツ国際平和村の事務所と同じです。3階へ上がろうとしたとき、50歳前後と思える男性職員が廊下を歩いていて娘に声をかけてきてくれました。

「何か用ですか。」娘は「私の父は日本の税理士で見学させてもらっています。」と説明したら、いきなり持っていたチョコレートとドーナツを私たちにくれて「私の部屋で話しをしましょう。」と誘われ、さらに上の階の彼の部屋に案内されました。

彼の仕事は、大きな法人の税務調査を6人1組でやっていると説明してくれました。驚くことに、ジーンズにカジュアルなシャツ姿です。また、ラジオを聞きながら仕事をしています。日本の税務署員の職場環境や仕事ぶりとはかなり異質です。娘の通訳で分かったことは、彼の仕事(法人税の税務調査)で最高の申告漏れの発見は5,000万ユーロ(1ユーロ130円で換算すると日本円にして65億円)、びっくりするような金額です。また、ボン税務署での最高額は、7億ユーロ(同じく910億円)の申告漏れだったようです。そんなに大きくない税務署でも、追徴税額の多さには驚きました。

ドイツでの法人税の基本税率は15%ですが、お隣の国のルクセンブルクに本店を移転させれば1%の課税で済む仕組みになっているそうです。ドイツでも日本や米国、英国などの先進国と同じくタックス・ヘイブンによる課税逃れに随分と頭を抱えている彼は饒舌?に話しています。娘曰く、「日常会話ならそれなりの通訳ができるけど、税金などの専門用語はよく分からないから、彼がそこらあたりを配慮してわかりやすい言葉に置き換えてくれて、メモ帳に単語を書いてくれたので助かった」と話してくれました。

彼は普段ラフなスタイルで仕事をしているそうなのですが、上司と週に1回の打合せと税務調査の1日目だけはネクタイをすると言ってロッカーからショッキング・ピンクのネクタイを見せて貰ったときはあまりの「ド派手さ」にびっくりしました。

また、個人課税のことは自分にはよく解らないので良い人を紹介しようとすぐに電話をしてくれました。紹介された方は個人課税のトップの人だったのですが、12月中旬ですごく忙しくて手が放せないので対応できないとの事でした。

クリスマスにみんなが好んで食べる焼き菓子のシュトレンをもらい記念写真も気楽に撮ってもらえました。娘が言うには、とかく税務署は愛想が悪いと事前に聞いていたので、彼と話せたのは幸運だったみたいです。

1階に降りて受付の女性職員に「税金に関するパンフレットを貰えませんか」と言うと、受付の責任者の人が地下室まで行って二種類のパンフレットを渡してくれました。この分厚く、豪華なパンフレットを娘に「後日訳してもらいたい」とお願いすると、ざっと見ただけで、専門用語とドイツの税制が書いてあって、まるで分からないらしく、「時間があればね」と上手くかわされました。

現職のドイツの税務職員と生で話ができたという満足感、高揚感を癒しに、駅前のパン屋さんでココアを呑み、マクドナルドでハンバーガーとコーヒーを注文しました。ココアとコーヒーは19%の税率、ハンバーガーは食料品なので軽減税率適用なのか7%の税率、また、同じ食べ物でも、カフェではテイクアウトでなく店内で食べると30セント(約40円)高くなるという仕組みになっていました。

日本の消費税が2019年から8%から10%にあがる際に、食料品が8%の軽減税率の適用になれば、それは、今後の消費税のさらなる増税の狼煙(のろし)になるのではないか危惧しています。それは、ドイツでは標準税率19%と軽減税率7%の差が12%あるのに対して、日本の場合は僅か2%しかないことです。また、インボイスの仕組みも定着させなければなりません。納税義務者や税理士事務所に過大な負担がかかりますし、免税業者も課税業者の選択をしなければ、経済の仕組みから抹殺される危惧があります。

私見ですが、消費税は増税をやめるべきです。反対に、5%から8%に消費税が増税して以来、消費者の購買意欲は削がれています。この際、消費税を元の5%に戻すべきです。さらに、先祖返りをして、消費税は廃止し、「個別物品税」に戻し、「基幹税」から「補完税」にすべきだと思います。消費税の逆進性をなくすには、その道しかありません。

あくまで、租税の基本は「累進課税」です。ICTやAI技術が進化すればするほど、「個別物品」の把握と税率の改定は容易にできるはずですし、末端の業者が価格を転嫁できないことはなくなります。サービスへの課税も財務省の主税局が知恵を絞ればできるのではないかと思います。

そして、課税庁にあっては、「滞納」ということが極めて少なくなるメリットが出てきます。高級車に乗りたい人は、25%の税率でも購入するでしょうし、農業で使う軽トラックが0%ならば、農業の自給率も上がるかもしれません。

ドイツの税理士との懇談~こんなにも違う税理士の仕組み~

私の二女は、ドイツ国際平和村の事務局で働いています。女優の東ちづるさんは、戦場で傷ついた子どもたちのリハビリなどをしているこの会を支援してくれており、また「ウルルン滞在記」などで取りあげてくれてご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

二女の強い要望で私たち夫婦がドイツとお隣のオランダを旅することになりました。何と、滞在費用一切は娘が出してくれました。何とありがたいことか。

ついでにドイツの税理士と直接話してみたいとの所望を実現してくれました。娘が住んでいる近くで開業している少しお年を召された方でしたが、貴重な体験でした。税理士制度は、ドイツ、韓国、日本で古くから制度化され、文献ではなく実際に実務をされている税理士と話がしたかったからです。

懇談する日は、勝負服として日本から持参した大島紬で訪問しました。午後3時の約束ですが、3時ちょうどに娘のアパートを出て、徒歩約2分のところにある税理士事務所兼自宅にしている税理士のお宅へいきました。日本では約束の時間5分前に到着して待っているのがビジネスの常識だとされていますが、ドイツでは約束の時間より2~3分程度遅れて会うのがエチケットとされているそうで、同じ「まじめ気質」の日本人とドイツ人の待ち合わせ慣習も違うことにまた異文化を感じました。

玄関で40代の女性が日本語で「こんにちは」と挨拶してくるのでビックリしました。オフィスは女性とその女性のお母さんともう一人の男性の三人体制で運営していることがわかりました。事務所の様子を少しですが見せてもらったあとにリビングに通されました。

お母さんは1975年に税理士試験に合格したというからもう38年の経験を持つ大ベテランです。おそらく80歳位の年齢と思われます。娘さんはこの事務所でお母さんと一緒に働いているそうです。お母さんは、「私は、娘が税理士試験に通るまで仕事やめたくてもやめられない。」と言っていたので、恐らくここで娘さんは働きながら試験勉強をしているのであろうと容易に想像できます。娘さんはコーヒーメーカーでコーヒーを入れてくれ、私たちに勧めてくれました。

娘さんも席に着いていくつかのランプシートのローソクに火を灯し部屋の照明が消されました。昼間だけどリビングのテーブルは、ローソクの照らすテーブルの上だけがぼんやり灯りがあるだけで薄暗いのです。改めてドイツはローソクの文化なのだと実感しました。テーブルには何種類かのクッキーが皿に盛られていました。どれが自家製でどれが市販のクッキーかの説明を受けました。ドイツではどこの家でもクリスマス前は自家製クッキーを毎朝焼くのが習慣だと説明され、「どうぞ」という言葉に甘えてすっかりご馳走になりました。

私の質問には、娘さんが中心に質問に答えてくれてお母さんがそれを補足し、娘が通訳をする形式をとりました。

日常業務・・・・毎月、四半期、年一とお客さんとの契約があるそうで、日本とまるで同じです。

法人・・・・・クライアントが法人を設立する場合は、ドイツは書類文化なので大量の書類作成のお手伝をすることになるが、これが大変だということです。

個人・・・大工、医者などの個人営業のところは給与所得とは違うので計算が複雑で大変になるのは日本と変わりません。

相続・・・・子どもだと税金が安くなるが、内縁の妻(意外に内縁関係の夫婦は多いらしい)だと相続権はあるが税率は高くなるそうです。相続の申告には6つの法律を駆使しないといけないので苦労するそうです。

娘さんは以前、デュッセルドルフで日本のある商社の支店で働いていた経験があるとのことがわかり、挨拶程度の日本語がしゃべれるのに納得しました。

税理士事務所・・・・規模の大小さまざまで、一企業に専属している税理士もいるそうです。お母さんの友人は、5人の税理士が事務所を経営していてスタッフが80人の事務所だそうです。オーバーハウゼン市(日本企業が集積しているデュッセルドルフから北へ30キロの人口21万人の小都市)でも約80人の税理士が登録しているそうです。

税理士試験のシステム・・・・受験資格は3年間専門の勉強をするか、税理士事務所で10年間働いていることが条件。まず、200ユーロ(約2万6千円)で受験のための書類を書き、認定を受けるがその認定がなかなか受けられないとのことらしいのです。日本では、受験資格は法改正で比較的簡単になっています。

認定されれば、1,000ユーロ(約13万円)の受験料を払い本試験を受けるのですが、事前にリサーチしていたとおり、人生の内わずか3回しか受験のチャンスがないことはやはり事実でした。ただし、認定料、受験料の高さにはいささか驚きました。勉強して認定を受けて合格するまで平均10年はかかるとされているそうで、日本の税理士試験より難関そうです。

試験は11月第2週目に3日間連続して午前9時から午後4時まで6科目の認定試験を受けます。合格発表は州によって違うそうですが、ほとんどは年内にあるそうです。ここノートラインゼストワーレン州(デュッセルドルフやボンがある州)では、一ヶ月遅れの1月に合格発表があるようです。日本は毎年1回、8月上旬に試験があり、合格発表が12月中旬とはいささか長すぎると思います。受験生の常識となっていますが、合格者の調整(毎年受験者の2%前後しか合格させない。)のための期間です。このシステムも変えないと行けませんよね。

さて、ドイツでは合格の認定がされて本試験までは各人の認定の評価によって違うのでしょうが4週間から12週間程度、予備校へ行かなければならないそうです。大きな税理士事務所はホリデイを与えてくれたり、有休で研修を受けさせてくれたりするそうですが、その代わり2年間その事務所で働くことが条件として付されることもあるということです。合格するのにお金と時間がかかることはドイツ国内でもでもあまり知られていないそうです。

ペーパー試験は成績が良い方から1~6段階の評価があり、5以上は不合格になるそうです。1や2段階の成績で通った受験生がいるとは聞いたことがないそうで、受験者のほとんどが3と4段階の評価で合格するようです。ペーパー試験で合格した後、3月に口頭試問があそうです。出題されてから30分考える時間を与えられるが参考書などは見ることはできないそうです。ペーパー試験と同じ科目から出題され、1科目につき10分で適切な回答をしないといけないとのことです。口頭試問は、日本も司法試験や弁理士試験では課されていますが、税理士試験では課されていません。おそらく、口頭試問を日本の税理士試験に取り入れたら受験者は激減するかもしれません。そうでなくても、私が受験していた頃(四半世紀前)の受験者数は約6万人から4万人を割っているのが実態です。

娘さんは日本で受験して資格を取る方が簡単で早く受かると思うが、日本で取った資格はドイツでは使えないので残念だとしきりに言っていました。

税理士の社会的評価は弁護士の評価と全く一緒であるとのことでした。税務署でも経験と知識を増やすのにかなりの研修があるそうで、その研修を受ければ税務署勤務経験者の税理士試験も通りやすくなるかもしれないが、その研修のレベルはけっして低くないらしいということでした。また、日本のように試験免除制度はあるそうですが、大学教授や裁判官などに限られるそうです。いずにしても日本もかなり難関です。

税務調査は長いものでは2週間あるらしく、税法だけでなくユーロのさまざま法律に適合しているか、労働時間は適正なのかのチェックもあるそうです。短いものでは2時間で終了する時もまれにあるようです。税理士は必ず立ち会いをするのが原則で、税務調査をして税務署の方で納得できない場合は、しばらくして無予告調査がありパソコンも含め一式没収されるそうです。日本でいう査察?に近いのでしょうか。通常の場合では事前通告が税理士のところにされるそうでが、無予告調査では税理士は何もできず、できることといえば弁護士を呼ぶことくらいらしいのです。

話し始めてからすでに2時間が経過、そろそろ娘さんも通訳をする娘も疲れてきているようなので最後の質問としてドイツにおけるタックスヘイブンの事を聞きました。

ドイツでも日本と同じで税金を安くしたいならベルギーに本社を置き、人件費を安くしたいならポーランドに工場を移すことが横行しているとのことでした。税理士(お母さん)の話では「ドイツの付加価値(稼得した所得)はドイツで課税すべきであるが、そうした規制がないことは問題だ」と話しておられました。

ローソクの灯の中2時間半の対話が終わりました。最後にお母さん娘さんと3人でオフィスにて記念撮影をして、またの再会を約束しました。玄関を出るとき娘さんが「さよなら」と日本語で言ってくれたのはとても印象的でした。午後5時、もっと聞きたかったとの思いもありましたが、妻と娘の「もうこれ以上の時間をとってもらうのはご迷惑よ。」との声に寂しくアパートへ帰りました。

何故このような出会いができたのかはひとえに娘のお陰です。ドイツへ渡航前からドイツ人の税理士にぜひ会って対談したい旨のことを私が懇願していました。娘のアパートのすぐ近くに税理士事務所の看板を掲げているのを見つけて思い切って訪問してくれ、私との懇談を実現させてくれたのです。たまたま税理士の娘さんは娘の職場であるドイツ国際平和村との関わりがあることも幸いしたようです。

娘さんの同級生で仲の良いベトナム人がいたのですが、その当時ベトナム戦争があり平和村は南ベトナムの子どもたちを受け入れていたそうです。戦争は北ベトナムが勝利し社会主義政権へ大きく舵を切るのですが、当時の西ドイツは「資本主義社会」でそこで教育を受けた平和村の子どもたちを「北ベトナム」としては受け入れすることを拒否、そのため帰るところを失った平和村の子どもたちは帰国できずに、ドイツで生きていくしかなかったという悲しい歴史があるそうです。そんなベトナム人の友人を持つ娘さんとの出会いは私たちにとって偶然の産物です。そんな機会を与えてくれた娘に感謝します。