平和を身近から考える

8月9日は私の誕生日ですが、同時に長崎原爆記念日でもあります。前回のブログに掲載いたしましたが、還暦の誕生日に日本100名山の最後の一座である蔵王山を家族で達成するという記念日を、台風5号の影響で断念しました。 ということからこの日は、長女が住んでいる娘婿の会社の社宅で、甲子園の熱戦を観ていました。

画面が長崎の平和記念式典に切り替わり、田上長崎市長が平和宣言をしていました。 長女曰く、田上長崎市長は毎年素晴らしいスピーチをするというので真剣に聞いていました。朝日新聞デジタル版は、『長崎市長、平和宣言で政府批判「姿勢理解できない」』、『日本政府に対しては、唯一の被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し役を果たす」としながら、核兵器禁止条約交渉に参加すらしなかった姿勢を厳しく批判。「条約への一日も早い参加」を求めた。憲法の平和の理念と非核三原則の「厳守と世界への発信」も政府に求めた。』とし、一方、『安倍晋三首相は、一般論は述べるものの、具体策には言及しなかった。』と報道していました。

そして、原爆投下時間の11時2分になったら、長女の呼びかけに合わせて、娘婿、もうすぐ4歳の長男、そして7月10日に誕生した二男を抱いて黙祷したのです。もちろん、私たち夫婦もそれに合わせて黙祷しました。 後で長女から聞くと、広島の平和式典でも、終戦記念日でも一家で平和を祈り黙祷しているとのこと。かなりの驚きと良い妻、母になったものだとその成長ぶりに父親としての喜びを感じざるを得ませんでした。

私は、家族に何故長崎に原爆が投下されたかの逸話を話しました。広島型のウラン爆弾より性能が高いプルトニウム爆弾の比較検証がしたかったこと、当初は小倉に投下する予定だったのが、天候不順で見通しが悪く、しかしどこかに落とさないと帰りのB52の燃料が足りないという理由で長崎への投下が決まったこと、皮肉にもクリスチャンが多い長崎市の郊外の浦上地区だったという話をしたら驚いていました。

この3日間、安倍晋三首相はどんな思いで色んなスピーチを聴いていたのでしょうか?果たして不戦の誓いをしていたのでしょうか?それとも憲法9条三項の政治日程と戦略へ思いを巡らしていたのでしょうか?少なくとも不戦の誓いはしていないと私は感じます。それは、靖国神社に玉串を奉納したからです。

安倍晋三首相は、首相が尊敬しているA級戦犯でもある岸信介元首相ができなかった野望を実現すべく、ひたすら前を向いて突き進みたいのだろうと思います。