月別: 2025年4月

「空と風と星の詩人 尹東柱の生涯」を見て思いました!!~治安維持法施行100年、再び暗黒政治を生まないために~

この映画は韓国の国民的詩人である尹東柱(ユン・ドンジュ、1917~45年)の生誕100年を記念して作られた映画で、主人公を演ずるカン・ハヌルは、韓国のトップスターのひとりです。モノクロの美しい映画です。私は、この映画「空と風と星の詩人」を見るまで彼のことを全く知りませんでした。

彼は日本の大学(最初立教大学、後に同志社大学)に留学中に、1943年7月、抗日独立運動を扇動したとして京都で逮捕され、治安維持法違反で検挙されて、懲役2年の刑を受け、日本の敗戦のわずか6か月前である1945年2月16日に27歳の若さで、福岡刑務所で獄死しました。彼は、韓国では国民的詩人として知られています。死後に刊行された詩集「空と風と星と詩」が韓国で広く読まれるようになり、日本語や英語などにも翻訳されています。

満州(現中国東北部)で生まれた彼は、1942年10月から同志社大学文学部で学び、ハングルでの詩作を続けていました。戦後80年となるのに合わせ、「多くの学生が戦争の犠牲になったことを忘れてはならない」として同大学は名誉文化学位贈呈を決めました。

さて、彼の命を奪った「治安維持法」は、一見「治安を守るための法律」かのようですが、実際は民主主義や宗教、学問の自由を弾圧するとんでもない悪法でした。「民主主義」や「自由」は天皇主権に反するからだという理由から制定されました。その弾圧後に国内で310万人、アジアで2,000万人もの犠牲を強いた戦争の惨禍をもたらしました。

1925年施行の治安維持法は、太平洋戦争の敗戦後の1945年10月に廃止されるまで、弾圧法として猛威をふるいました。弾圧が原因で命を落とした人(氏名判明分)が514人、検挙者68,274人、起訴者6,550人、検束・拘留者数十万人とされています。有名なプロレタリア作家の小林多喜二氏もその犠牲者の一人でした。

戦後、世界各国で弾圧や人権侵害の犠牲者に対する謝罪と賠償が進んでいるなかで、残念ながら日本では、いまだになされていません。それどころか、驚くかな2017年6月、金田勝年法務大臣(当時)は、「治安維持法は適法に制定され、適法に執行された、謝罪・賠償・調査の必要もない」(要旨)と、治安維持法を擁護し、突っぱねました。

政府は最近、特定秘密保護法、共謀罪法、土地利用規制法、経済秘密保護法等々を矢継ぎ早に強行し、罰則付きで国民の目と耳と口を塞ぎ、さらには、今年3月には能動的サイバー防御法案を提案し、権力の邪魔になる日本学術会議の解体まで行なおうとしています。

他の予算が据え置かれ、あるいは削られるなか、防衛費をGDP比2%にするために8兆円の予算を組みました。それだけでなく米国は3%にする要求をしています。「新しい戦前」が着々と「新しい戦中」へと近づいています。治安維持法施行100年、再び暗黒政治を生まないために、歴史の真実を学び、同じ過ちを繰り返させないよう、一人ひとりが大きく声をあげなければなりません。それこそが、尹東柱氏や小林多喜二氏に報いることではないでしょうか。戦争と暗黒政治を許さない政治を実現しましょう。

スマホが突然立ち上がらなくなりました!!~デジタルに疎い私は相当落ち込んでいます~

先週の日曜日、いつものウオーキングコースでYouTubeを聞いていたら突然、スマホの電源が切れました。急いで、家に帰って充電しても何の反応もありません。スマホのショップに行って復旧をお願いしましたが、何をしても立ち上がらないということで、故障専用のダイアルナンバーを教えてもらいました。対応してもらった女性担当者にこんな故障はあるのですかと聞いたら、機械ものなのでまったくないとは言えないとの返事でした。

早速、自宅に帰って家電からコールセンターに電話しましたが、なかなかつながりませんでした。約1時間後につながり、対応してもらった担当者に、復旧の操作方法を教えてもらい、その手順通りしましたが、上手くいきませんでした。専門の担当者に替わるのでと言うことで、しばらく待ちましたがなかなかつながりません。担当者が言うには、「日曜日なので大変混雑しています。しばらくしてまたおかけください。」とつれない返事。いつかけ直したら良いのかと言うと、「もう一度、担当者に連絡します。」とやっとつながりました。専門の担当者から聞いた強制的に復旧する方法で試してみましたが、やはりだめでした。

その前日あることに遭遇しました。その日、夜明けとともにウオーキングをしていたら、そのコースに赤い長財布が落ちていました。中には、現金、運転免許証、健康保険証、病院の診察券など大事なものが入っていました。Googleマップで隣の団地にある自宅がわかり、直ぐに届けました。しかし、チャイムをならしても、ドアをノックしても何の応答もありませんでした。朝早いのでまだ寝ているのかなと思い、しばらく待ちました。すると、そのお家の住人らしい女性が車の助手席から私が持っていた財布を見るなり、「わざわざ届けてもらってありがとうございました。実は財布だけでなく、家のカギも落としたので、今から探しに行くんです。」友達と思える女性が運転していました。おそらく、家族も不在で、車のキーも家の中なのだと思いました。推測ですが、前日に飲み会があり、近くの駅から自宅に戻る途中で落とされたのではないでしょうか。こんなときに、スマホは役立ちます。以前であれば、そのお宅を探すのに相当苦労をしていたはずです。

週明けに、事務所のデジタル系の担当者に経過を話し、代替機が水曜日に届きました。

ちょうど4月から英検の勉強をしているので、スマホなしには勉強がはかどらないのです。2年前にも英検の受験をしましたが、そのときはCDで勉強をしていました。しかし今のスマホのアプリでは、過去問などの自動採点機能や合否レベル、成績順位、リスニングの読み上げスピードも何段階にもしてくれます。購入したある参考書には動画も付いていて、その受講もできます。ChatGPTも役立ちます。日々デジタル技術は進化しています。

ところが、元来デジタルにまるで弱い私は、その設定、例えばLINEなどをすべて他人に任せきりでした。私の最大の問題は、ログインナンバーとパスワードを控えていなかったことです。今回のトラブルで改めて思ったのは、現在社会を生きて行くには、最低限の知識を知っておくべきという教訓です。しかし、ボイスレコーダーに保存していた趣味のギターのレッスン記録が消えてしまったのはショックでした。相当、落ち込んでいます。

トランプ関税と消費税減税~石破総理、今こそ消費税減税を!!~

トランプ関税が世界中に大混乱をもたらしています。株価はニューヨーク株式市場だけでなく世界中のマーケットが乱高下を繰り返しています。トランプ流の脅迫じみた手法が、短期に終結するのか、それとも永続性を持って定着するのか先行きはまったく不透明です。

トランプ大統領は、アメリカの貿易赤字を他国による経済侵略の結果だと非難していますが、アメリカに外国製品が大量に流入したのは、自国の大企業が生産を縮小し、その結果として産業の空洞化が進行したためです。関税を上げても国内産業が復活する保障はどこにもありません。それどころか、関税収入は政府に入りますが、関税で上がった外国製品は物価高として国民の負担になります。

ところで、アメリカが中国などに高関税を課すことで、グローバルなサプライチェーンが混乱し、原材料や中間財の価格が上昇します。その結果、日本国内で売られる衣料品や家電製品、さらには食品の包装材などが値上がりします。ある試算では、関税による輸入物価上昇が日本の実質GDPを最大1.4%押し下げるとされており、2025年の家計負担が4人家族で年間約11万円増加する可能性があると言及しています。

トランプ関税への対策を巡り、野党で消費減税を求める声が日増しに広がっています。立憲民主党、日本維新の会、国民民主党の主要野党からは景気対策として、消費税を一律5%に引き下げたり、食料品への課税をゼロにしたりする案が浮上しています。日本共産党やれいわ新選組は、従前から消費税の減税や消費税廃止を主張しています。

一方で自民党内でも、7月に選挙を控えている参議院側を中心に食料品などに限って消費税の税率を時限的に引き下げるよう求める声があがっています。また、公明党の斉藤代表は「減税が家計や企業の負担を抑え、経済対策として国民に安心を与えるのではないか」と述べ、消費税を含めあらゆる選択肢をそ上にのせ、検討していく考えを示しています。

ある税理士は「年間の国・地方税を含めた国民一人当たりの消費税負担額は約24万7千円。消費税率を5%にすれば、3人家族で年間約37万円の減税、廃止すれば、約74万円の減税効果がある」と指摘しています。買い物の度に、「消費税」として価格に上乗せされている分が減額されるだけで、財布のひもも緩み、結果として景気は改善されます。

引き続く物価高に併せ突然のトランプ関税で国民の暮らしは、ますます厳しさを増すことは火を見ても明らかです。国民に安心を与える政策として最も効果があるのは消費税の減税です。4月実施のJNN世論調査でも、減税に「賛成」と答えた人は61%にのぼりました。特に「30代未満」の有権者では「賛成」は78%にのぼっています。

石破総理は昨年の所信表明演説で、「全ての人に安心と安全を。私は総理大臣として全身全霊を捧げ、日本と日本の未来を守り抜く」と述べました。多くの国民がその安心を享受できなくなっています。総理は、「消費税は社会保障の財源である。」まことしやかな嘘を繰り返すのをやめて、その所信を消費税減税という政策で実行すべきではないでしょうか。石破総理、ときは熟しています。今こそ消費税減税を!!その願いは、国民の世論です。

おかげさまで、4月1日で総合会計は30周年を迎えました!!~さらなる成長発展のためにスタッフ全員がスクラム組んで~

「企業30年説」という言葉を耳にした人もおられるのではないはでしょうか。これは1983年に『日経ビジネス』が特集記事で初めて取り上げ、人口に大きな衝撃を与えました。つまり、人間に寿命があるように、企業にも寿命がありそれが30年というものでした。

それが事実なのかどうか定かではありませんが、帝国データバンクの統計データでは、企業の10年後の生存率は約7割、20年後に約半分になるとのことです。それだけ企業の生存競争は激しく、栄枯盛衰が繰り返されていることが見て取れます。

さて、企業が持続的に成長発展するためには、①時代を半歩先取りする成長エンジンを持つこと、②常に顧客満足を意識した製品やサービスを提供すること、③揺るぎない経営理念を持ちそれを社員に浸透させること、④それらを実行する人材の育成を図ること、が必要となります。

税理士業界の事業継承には税理士資格が必須条件なので、他の業界よりも困難だと言えます。日本税理士会連合会が公表した「第7回税理士実態調査報告書」では、後継者(後継者候補)がいないとの問いに84.5%がいないと答えています。さらに後継者不在の所長税理士に今後の見通しを問う設問では「自分の代で廃業する予定」が44.1%で最多でした。

幸いなことに、総合会計は創業者である私から、18歳ほど年齢が若い有能な後継者にスムーズに事業承継ができました。そして、バトンタッチ以後さらなる飛躍を遂げています。

ここで、総合会計が誕生した30年前のエピソードを少しだけ紹介します。『1995年阪神大震災が起きた年の4月1日、故郷の山口の地で開業しました。開業初日は、阪神大震災の影響で家財の荷物がまだ届かず、新幹線も動いていなかったので、夜行バスで到着する妻を防府駅まで迎えに行ったことを鮮明に覚えています。開業1年目は、借家の6畳の和室にカーペットを敷いて、大阪の自宅で使っていた古いパソコンと知り合いからもらったFAXやコピーを使って、今まで会計業務にまったく携わったことのない妻に手伝ってもらってスタートしました。もちろんお客様はまったくゼロだったので、知己を頼っていろいろなところへ挨拶回りをひたすらしました。業務連絡は、まだポケベルの時代でした。とにかく必死だったことが伝わったのか、三ヶ月目くらいから、「大阪から帰ってきたちょっと面白い税理士がいる」ということが評判になり、ご紹介のお客様がぼちぼち増えてきました。』

そして、筆舌に尽くしがたいほどのさまざまな紆余曲折を経てこの30年があっという間に経過しました。ものごとは螺旋状にしか発展しないとよく言われますが、まさに総合会計の歴史が螺旋状の歩みそのものでした。

さらに、10年、20年、50年へと未来に向かって総合会計がさらに発展することを切に願ってやみません。そしてそれを保証するには、事務所の全構成員が自分の持ち味を活かしながら、みんなで協力しあって民主的に運営することが必須条件ではないでしょうか。そして、必要なのは「量」を追求しながらも「質」の向上を常に図ることです。量と質の絶妙なバランス、確かに困難な課題ですが、果敢に挑戦することが求められています。