敬愛していた野村監督が逝った日からはや1年~監督の生き様とその名言~

訃報があってからもそうでしたが、年末のテレビ番組でも野村監督の特集をしきりに放映していました。監督からは多くのことを学び生かしています。その足跡と名言を紹介します。

訃報は昨年の2月11日にありました。享年84歳、プロ野球ファンだけでなく多くの人々に影響を与えました。選手を引退してからは解説者を経て、長い間監督をされてその手腕が発揮されたので、私の世代より若い人は監督と言った方がなじみやすいのではないかと思います。しかし、プロ野球選手としても超一流でした。氏の足跡を時代ごとにまとめ、その名言にもふれていきます。

1935年、漁業が盛んな京都府竹野郡網野町(現在の京丹後市)で生まれました。家はとても貧しく、新聞配達などで家計を助けていました。中学校2年生の時に野球部に入りました。兄の大学進学を断念した結果、京都府立峰山高校に進学できました。しかし無名の高校だったので、54年に南海ホークスにテスト生として入団しましたが成績が振るわず、戦力外通告を受けました。ところが、正捕手の事故などにより残留が決まりました。

3年目の56年に一軍に抜擢され正捕手の座に座りましたが、カーブがまったく打てなく空振りを繰り返していました。そこで思いついたのが、投手のクセを徹底的に研究することでした。その結果、打撃力が飛躍的に向上しました。そして57年にはホームラン王に、65年には戦後初の三冠王に輝きました。ただ、「神様、仏様、稲尾様」と形容された稲尾和久投手には手も足も出ませんでした。打開策として、自ら16ミリカメラでそのフォームを撮影し、その細かなクセをついに見つけました。そのことが、その後の氏の人生を変えたと言われています。

同時期に活躍していた長嶋選手や王選手が脚光を浴びる一方で、マスコミで氏の露出が少ないので、考えたのが「長嶋や王がひまわりならば、自分は人目のつかない所でひっそり咲く月見草」という名言でした。以来「月見草」が氏の代名詞となりました。

70年には監督兼任捕手となり、2000本安打も達成しました。その後、ロッテ、西武と移り、80年には前人未踏の3000試合出場を達成し、45歳で引退しました。現役成績は、打率277、657本塁打、1988打点、首位打者1回、ホームラン王9回、打点王7回、まさに歴代最高の捕手でした。おそらく、このような捕手はもう現れないと思います。

現役引退後は9年間テレビ朝日の野球解説者をしました。そのときに使ったのが「野村スコープ」でした。ストライクゾーンを9分割にして、捕手として培ったインサイドワークで、投手が次にどこにどんな球を投げるのを予想し、それがズバリ的中。野球解説に革命を起こしたと言われています。このスコープは現在では広く世界で使われています。

監督としては、1968年~77年(選手兼任監督)南海ホークス、90年~98年ヤクルトスワローズ、99年~2001年阪神タイガース、06年~09年東北楽天ゴールデンイーグルスを率いました。ヤクルト就任時に「1年目に土を耕し、2年目に種をまき、3年目に花を咲かす」という名言通りに3年目にリーグ優勝をし、4年目に日本一に輝きました。「チームが勝つには現場と首脳陣が協力しないとダメ」と言い続けました。

師弟関係にあった古田敦也さん(通算2097安打、10度のベストナイン、2度のMVP、そして選手会長としても活躍)は、その訃報に際して「頭を使えば弱いチームが強いチームになることをたたき込まれた。影響を受けた野村さんの教えを次の世代伝えていくのが役割だったと思っている」と述べています。

阪神タイガース時代は3年連続の最下位、それはオーナーが補強について積極的ではなかったからと言われています。その後、シダックスという社会人チームの監督になり都市対抗野球で弱小チームを準優勝に導きました。

次にプロ野球の監督をしたのが東北楽天ゴールデンイーグルスでした。新球団設立2年目のことでした。3年目にクライマックスシリーズまで進みましたが、3年目に退団しました。「マー君、神の子、不思議な子」と言われ時の人となった田中将大投手を育てました。入団1年目から打たれても、打たれても使い続け、11勝7敗、防御率3.82の成績で新人王に輝きました。田中投手はその訃報に際し、「野村監督には、ピッチングとはなにか。そして野球とは何かを一から教えていただきました。プロ入り1年目に出会い、指導してもらったことが野球人生における最大の幸運のひとつです」と述べています。

氏の名言は数多ありますが、そのいくつかを紹介します。

「失敗」と書いて「せいちょう」と読む。

「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない。

「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる。

「失敗の根拠」さえはっきりしていればいい。それは次につながるから。

組織はリーダーの力量以上に伸びない。

部下を「信じる」というのは、リーダーの重要な資質。

不器用な人間は苦労するけれど、徹してやれば器用な人間よりも不器用な方が、最後は勝つ。

など、野球選手以外、特にビジネスに関わる人に通じるものばかりです。私は、氏の波瀾万丈の人生から大いに学びました。語録を思い出しては、自分自身の成長につなげていきたいと思います。